竹島 Takeshima

竹島データ(外務省「日本の領土をめぐる情勢」より)

概要
東島(女島),西島(男島)の2つの島とその周辺の数十の小島からなる群島。島根県隠岐の島町に属する。

位置
隠岐諸島の北西約158キロメートル,北緯37度14分,東経131度52分の日本海上に位置している。

面積
総面積は約0.20平方キロメートル。

自然
各島は,海面からそびえ立つ急峻な火山島であり周囲は断崖絶壁をなす。また植生や飲料水に乏しい。

日本人による利用
17世紀初めには,あしかやあわびの漁猟の好地として利用した。特にあしか猟は,1900年代初期から本格的に行われるようになった。

我が国が古くから竹島の存在を認識していたことは,多くの古い資料や地図により明らかになっています。17世紀初めには,日本人が政府(江戸幕府)公認の下,鬱陵島に渡る際,竹島を航行の目標として,また船がかり(停泊地)として利用するとともに,あしかやあわびなどの漁猟にも利用していました。遅くとも17世紀半ばには,我が国の竹島に対する領有権は確立していたと考えられます。

1900年代初期,島根県の隠岐島民から,本格化したあしか猟事業の安定化を求める声が高まっていました。こうした中,我が国は1905(明治38)年1月の閣議決定により竹島を島根県に編入し,領有意思を再確認するとともに,その後官有地台帳への登録,あしか猟の許可,国有地使用料の徴収などを通じた主権の行使を他国の抗議を受けることなく平穏かつ継続して行いました。こうして,既に確立していた竹島に対する我が国の領有権が,近代国際法上も諸外国に対してより明確に主張できるようになったのです。

1952年 サンフランシスコ平和条約が発効された。(1951.9.8署名、1952.4.28発効)
同条約を起草していた米国に対し、日本が放棄すべき地域に竹島を加えるように求めました。しかし、米国は、「竹島は朝鮮の一部として扱われたことはなく日本領である。」として韓国の要請を明確に拒絶しました。(日本が放棄すべき地域として「済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」とされました。)つまり国際秩序を構築したサンフランシスコ平和条約において、竹島が我が国の領土であることが確認されています。その後は、日米安保条約など日米間の協定に基づいて、竹島を「爆撃訓練区域」として米国が使用していました。

1952年1月 すでに署名(1951.9.8)されたサンフランシスコ平和条約が発効される直前になって、韓国はいわゆる「李承晩ライン」を一方的に設定し、竹島を取り込み、日本からの厳重な抗議にもかかわらず、その後竹島に警備隊員などを常駐させ、宿舎や監視所、灯台、接岸施設などを構築してきました。

韓国の行為は、国際法に反した不法占拠です。

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